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琉球処分

明治初期までの500年間、沖縄(琉球王国)は中国と冊封関係にあった。
冊封とは、王位を認める辞令である。つまり、中国皇帝の冊封によって琉球王国の王位が授けられるという関係が続いていたのである。

 

1609年(慶長14年)島津氏(薩摩藩)は、武力によって琉球王国を侵略した。
これによって琉球は徳川幕府の体制に組み込まれることとなる。
だが、実質的には薩摩藩の支配下に置かれながらも、「琉球王国」として独立国家のように扱われた。幕府と薩摩藩にとっては、その方が有益だったからだ。清(中国)には琉球と薩摩藩との関係を隠し、冊封関係を続けさせて、それに伴う貿易の利益の上前をはねようという魂胆である。
庶民は重税に苦しみ、餓死者なども多く出たという。

 

名目上は清に属しながら徳川幕府の支配を受けるという状態は250年以上続く。

 

明治維新後、明治政府は琉球を日本帝国という版図に組み込むために、琉球王国の解体を画策する。
この琉球王国解体への明治政府による一連の処置を琉球処分という。

 
明治政府はまず、廃藩置県によって琉球国を鹿児島県の管轄下とし、翌1872年(明治5年)には「琉球藩」とした。

清はこれに抗議した。古来より琉球は清に属していたわけだから、当然のことだろう。
だが、ここで、明治政府に都合のよい事件が起こっている。宮古島の漁民が台風で遭難し、台湾に漂着したのだが、そのうちの54名が台湾原住民によって殺害されたのだ。その報復として明治政府は1874年(明治7年)に台湾出兵を行ない、原住民族を攻撃した。そのうえで、この報復が正当なものであると、清に認めさせた。それを根拠にして、「清は琉球が日本領であることを認めたのだ」と、さらに琉球処分をおしすすめていった。
最終的に明治政府は、1879年(明治12年)軍隊と警官隊を琉球に派遣。強制的に琉球王朝を解体し、沖縄県を設置した。

沖縄の悲しい歴史のひとつである。

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