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蛍の光 窓の雪

<まえがき>

そもそも、なんで「蛍の光」をテーマに書こうとしたのか思い返してみると、「蛍の光」は4番まであるってのをのほほんさんに説明しようとしただけなんですよね。それがねー、あれやこれや詰め込んだら長くなっちゃった。読みにくいとは思いますけど、頑張ってやった宿題なので、どうか目を通してやってください。
あ、文中のピンク文字は解説などにリンクしてます。
それじゃあ、どうぞ。

蛍の光 窓の雪

「蛍の光」・・・あの美しいメロディーを聴いて、どんな情景を思い浮かべますか? 卒業式、閉店、紅白歌合戦の締め、船の出航・・・ 別れ・終わりのシーンにピッタリの曲ですよね。聴いただけで条件反射のようにしんみりとしてしまいます。言いようのない物悲しさせつなさが胸に込み上げてきます。
なんて書いてはいますが、スーパーの閉店時間に毎回しんみりしてるわけじゃないんですけどね。あれは“早く帰れよ”って急かされてる様なものですしね。
ああ、さっき図書館の閉館時間にも流れてたなぁ・・・

<別離>

歌詞はどうかな? みなさん、「蛍の光」の歌詞って憶えてます? 知ってます? 最近は卒業式で「蛍の光」を歌わない学校が多くなったので、歌詞を知らない人も増えているんだとか。
歌詞は憶えてても、その歌詞の意味がよくわかっていなかった人もいるんですけどね。自分のことですけどね、ははは…はー。
どうでしょう? 1番くらいはなんとか歌えますか?
こんなかんじで。

ほたるのひかり、まどのゆき、
書(ふみ)よむつき日、かさねつゝ、
いつしか年も、すぎのとを、
あけてぞけさは、わかれゆく。

どうですか?
この歌詞からもわかるように、日本での「蛍の光」は別離の歌なんです。もう見事なまでにお別れの歌。
ですから、聴いてしんみりしてしまうのも納得ですよね。しかも、大概が別れというシチュエーションの中で歌われるわけですしね。
あー、そこの、「意味わかんねー」って言ってるあなた、ご心配なく。歌詞の内容についてはまたあとで解説しますからね。とりあえず最後の「別れゆく」ってとこだけ解っていてくれればいいです。うむ、私と同じだ。

<良いお年を>

別れのイメージのほかに、「蛍の光」には大晦日のイメージもあるんですけど、これって「NHK紅白歌合戦」の影響でしょうかね?
「紅白歌合戦」のフィナーレは、出演者全員で「蛍の光」を大合唱して締め括る、というのが恒例になっています。
で、まあ、その後は「ゆく年くる年」で除夜の鐘を聞きながら年越し蕎麦をすすって、しめやかに新年を迎える ってのが、TVを見ながら年を越すときの王道ですかね? そうでもないかー。
なぜ「紅白歌合戦」のエンディングに「蛍の光」を合唱するようになったのか、その経緯については不明ですが、ひとつには、英語圏の慣習の模倣ということが考えられます。でもまあ、いろいろ言っても、この辺りは想像に過ぎない(調査が足りない)んで、それはそれとして・・・

<Happy New Year>

先の「英語圏の慣習」ってことについて説明しますと、イギリスやアメリカなどでは、ニューイヤーパーティーに「蛍の光」を演奏したり歌ったりする習慣があるんだそうです。特に新年を祝う歌として歌われることが多いという話です。
映画やドラマでもそういうシーンがありますよね。ほら、カウントダウンして新年を迎えた直後に Happy New Year! って景気良く「蛍の光」を演奏するようなシーン。
そういえば新聞か雑誌で、東京ディズニーランドではカウントダウンの前に「蛍の光」を合唱するっていう記事を読んだ記憶があります。本場ディズニーランドではどうなんでしょうね。前?後?

それにしても、カウントダウン前の合唱はわかるとしてもですよ、新年を迎えての「蛍の光」っていうのがね、日本で生まれて日本で育った自分としては、どうにもしっくりこないんですよ。やっぱり、ほら、別離のイメージが強いから、っていうか、歌詞がお別れそのものだからね。「あけましておめでとうございます」にはそぐわない。あの歌詞である限り、新年に大合唱なんてことは、日本では行われないんでしょうね。
いやいやいや、ちょっと待てよ。今は完全に大晦日のイメージが刷り込まれちゃってるけど、「紅白歌合戦」って第3回までは正月に放送してたんだよね。もし、そのときから「蛍の光」の合唱をしてたんだとしたら・・・うーむ、わかんないなあ。また調べようっと。

あー、ところでですね、さっきから英だの米だの書いてますけど、みなさん、「蛍の光」って曲はもともとはスコットランド民謡だってことはご存知ですか?
それじゃあ、「蛍の光」は誰が作ったのかっていう話に進みましょうか。

<Auld Lang Syne>

さーてと、「蛍の光」はいったい誰が作ったんでしょうね。ルーツはスコットランドの民謡です。これは間違いないでしょう。でもね、いろいろ調べたんですけど、ややこしくって。だって、あちこちで書いてあることがバラバラなんですよ。でもなんとかまとめてみました。

まず、「Auld Lang Syne」という歌の話をしましょう。

最初に書いちゃいますが、この歌、「蛍の光」のメロディーとまったく同じなんですよ。

もちろんスコットランドの歌で、発祥は15世紀と伝えられ、作曲者は不詳となっています。もともとの作詞者も不詳で、しかも口伝えだったので、時代によって歌詞は変わって(替えられて)きたようです。文字として残っている最も古いものは、15世紀のフランシス・センピルの作だそうです。しかし、現在歌い継がれている「Auld Lang Syne」の歌詞は、1788年にスコットランドの国民詩人であるロバート・バーンズ(1759-1796)によって書かれたものです。
このタイトル「Auld Lang Syne」はスコットランド地方の方言だそうで、標準英語にすると「Old Long Since」。「ずっと昔から」「懐かしい日々」「古きよき昔」などと訳されています。
どんな歌なのかといえば、旧友との再会を祝って「あの頃が懐かしいなあ、さあじゃんじゃん飲もうぜ。乾杯」っていうような内容の、「友情」と「再会」をテーマにした酒まみれの歌なんです。パーティーのラストなどに、全員で輪になって、隣の人とつないだ手を1番では前後に振りながら、2番では腕を交差させて自分の左手を右隣の人の右手とつないで上下に振って歌うそうです。アップテンポの陽気な曲調で再会を願って。

「あれ? 蛍の光って、そんな歌詞だったっけ?」と首を傾げたあなた。そうです、日本語の歌詞からは「再会」なんて読み取れませんよね。陽気でもないですしね。なぜなら・・・っていうのは、またのちほど。

それでですね、バーンズが歌詞を付けた時点では、なんとですね、メロディーが現在の「Auld Lang Syne」とは別物だったんですよ。わ~びっくり。…してよ。 元歌と替えられたのは詞だけじゃなくて曲もだったんですよ。替えられてから、おなじみの「蛍の光」のメロディーになったわけです。
オリジナルの曲も消滅したわけじゃなく、探せばCDなどで聴けますから、機会があればどうぞ。ちなみに「Auld Lang Syne」のカタカナ表記は「オールド・ラング・サイン」とすることが多いですね。

<Awake, my soul, stretch every nerve>

バーンズが「Auld Lang Syne」を書いた年よりさらに33年前の1755年、イギリスの牧師である讃美歌作者フィリップ・ドッドリッジ(1702-1751)が「Awake, my soul, stretch every nerve」という賛美歌の歌詞を書いたとされています。曲の方はやはりスコットランドの民謡で、それを賛美歌に取り入れたって形ですね。そして、なんとですね、現代まで伝わるこの賛美歌のメロディーはですね、「蛍の光」とまったく同じものなんですよ。わ~びっくり。…してよ。う~む、まったく何がどうなってるのやら。ね、ややこしくなってきたでしょ?

まず謎なのは、1751年に亡くなったドッドリッジが1755年に書いていること、、って、ちょっと! お墓の中で書いてるよ! まあおそらくは、この曲が賛美歌として成立した(発表された)のがドッドリッジ死後の1755年ってことなんでしょうね。

次の謎は、「Auld Lang Syne」の現在のメロディーと「Awake~」がなぜ同じメロディーなのか? 「Awake~」の方が数十年早く作られたのに。
考えられるのは、「Awake~」は最初から現在のメロディーだったのではないかということ。「Auld Lang Syne」が曲を差し替えられた時にたまたま同じメロディーをあてがわれたのかも。スコットランド民謡だもんね。不思議じゃないよね。
あるいは、「Awake~」も最初は別曲だったが、現メロディーの「Auld Lang Syne」を採り入れて、ドッドリッジの詩をあてたんじゃないかな。とかね。賛美歌集を見ると「Awake~」の楽譜の端に「Auld Lang Syne」の文字があるんだよね。
どうなんだろね。

他にも謎ばっかりなんだけど、同じメロディーになってるってことはまぎれもない事実なのさ。

<めさめよわがたま(こころはげみ)>

賛美歌「Awake, my soul, stretch every nerve」はちゃんと日本語に訳されています。家にある賛美歌集「讃美歌」を開いてみると、第370番「めさめよ、わが霊」として収録されていました。もちろん歌詞はまったく違いますが、楽譜を見る限りでは間違いなく「蛍の光」と同じメロディーです。「めさめよ、わが霊」は純粋に讃美歌として日本に入ってきて教会で歌われてきた歌です。「蛍の光」の替え歌なんかじゃありませんからね。間違えないでね。

蛇足~。前述の「讃美歌」って初版が1954年発行なんですが、1999年発行の「讃美歌21」には「めさめよ、わが霊」が収録されてないんですよ。でも探したらドッドリッジの「Awake, my soul, stretch every nerve」はありました。讃美歌537番「眠りからさめよ」がそれです。違う日本語詞が付いていて曲もまったく別のものでしたが。

さあ、いよいよ話は「蛍の光」誕生へと。

<唱歌「蛍」>

「蛍の光」という歌は唱歌として誕生しました。唱歌というのは、簡単に言うと、文部省が教育用に選定した子どものための歌です。って聞くと「ああ童謡ね」って思う人もいるでしょう。でもね、ちょっと違います。違うんですが、「唱歌ってなんなの?」「童謡ってなんなの?」っていう質問の答はここでは省略します。ごめんなさい。

1872年(明治5年)学制が発布されて「唱歌」という教科が設けられました。唱歌の歴史の始まりです。
「蛍の光」は、文部省音楽取調掛が編纂した「小学唱歌集 初編」に収められる形で1881年(明治14年)に発表されました。当初の曲名は「蛍の光」ではなく「蛍」でした。どうしてスコットランドで生まれたこの曲が唱歌に採用されてたのかというと、曲の美しさもさることながら、ヨナ抜きの音階だったから。西洋音楽に初めて触れる子どもたちにも馴染みやすく歌いやすいようにと、「小学唱歌集 初編」に収録された曲はすべてヨナ抜き長音階。唱歌集の編纂において、西洋のメロディーに日本語で(訳詞ではなく)作詞した歌詞をのせるという作業が行われたんですが、「蛍の光」も例外ではありません。翻訳じゃないから原曲とはまったく関係のない歌詞になってるんです。

あ、そうそう、「蛍の光」は「Auld Lang Syne」が元ネタだと書いてあることが多いんですけれども(たしかにメロディーは同じなんですが)唱歌の制作過程や賛美歌との関係なども考慮に入れると、賛美歌「Awake, my soul, stretch every nerve」を下地にして作られたとみるのが自然じゃないかと思うんですよ。でも、実際にどっちだったのかは闇の中。翻訳して書かれた日本語詞だったら、はっきりしてたんですけどね・・・

詞といえば、長い間、作詞者不詳となっていたんですが、現在では「蛍の光」の日本語詞を書いたのは稲垣千頴だということが判明しています。根拠としては、音楽取調掛長 伊沢修二の1883年(明治16年)の演説記録などがあげられます。この演説の一部を取り出して要約すると、「蛍の光」は稲垣千頴の作であり、勉学に励んだ学生が卒業するときに友に別れを告げ、国家のために力を合わせる事を誓う様子を歌ったものだ、となります。さらに、卒業時に歌うべき歌だとも述べています。
そうなんです。初めから卒業式で歌われるべくして生まれた歌なんですね。それにしても、「国家のために力を合わせる事を誓う」って、、そんな歌だっけ?

「蛍の光」は現在では2番までしか歌われませんが、実際は4番まで作られ、歌われていました。国家のために、という内容は3番、4番に出てきます。
では見てみましょうか。

<蛍の光>

小学唱歌集 初編
第二十 蛍


ほたるのひかり、まどのゆき、
書(ふみ)よむつき日、かさねつゝ、
いつしか年も、すぎのとを、
あけてぞけさは、わかれゆく。


とまるもゆくも、かぎりとて、
かたみにおもふ、ちよろづの、
こころのはしを、ひとことに、
さきくとばかり、うたふなり。


つくしのきわみ、みちのおく、
うみやまとほく、へだつとも、
そのまごころは、へだてなく、
ひとつにつくせ、くにのため。


千島のおくも、おきなはも、
やしまのうちの、まもりなり。
いたらんくにに、いさをしく、
つとめよわがせ、つゝがなく。

というわけです。
文語体なので意味が解り難いのですが、伊沢修二の「卒業ノ時ニ歌フベキ歌也」という言葉を念頭において、漢字をあてた歌詞で意味を考えてみましょう。

蛍の光 窓の雪
冒頭は「蛍雪の功」、、というよりは「蛍雪」のことでしょうね。まだ功を成す前だし。

書読む月日 重ねつつ
そのままの意味でいいんじゃないかと。

いつしか年も すぎの戸を
「年も過ぎ」と「杉の戸」を掛け合わせたらしいです。

開けてぞ今朝は 別れゆく
「開けてぞ」は「杉の戸」から続いてますね。別れるのは同窓生とでしょう。

とまるも行くも 限りとて
故郷に留まるか出て行くかってことでしょうかね。留年するかどうかっていう話じゃないもんね。

かたみに思 う千万の
「形見」ではないそうです。
かたみ‐に【互に】(「片身に」の意) 互いに。かわるがわる。【岩波書店 広辞苑第五版】

心の端を 一言に
「言葉の端」ではなく「心の端」なんだから、「言葉にならない思い」ってかんじ?

さきくとばかり 歌うなり
さきく【幸く】さいわいに。無事に。【広辞苑第五版】


筑紫のきわみ 陸の奥
「筑紫」は九州の古称。「陸の奥」はみちのく。「きわみ」は果て。

海山遠く 隔つとも
その真心は 隔てなく
ひとえに尽くせ 国のため

この辺はそのまま。

千島の奥も 沖縄も
「千島」は千島列島。

八洲のうちの 護りなり
や‐しま【八洲・八島】(多くの島の意) 日本の国。【広辞苑第五版】
「護り」は防衛ってこと。

至らん国に 勲しく
「至らん国」は「国土の端から端まで」ってことらしいです。

つとめよわがせ つつがなく
「つとめよ」は努力しなさいとか任務を果たしなさいってことでしょうね。
せ【兄・夫・背】
1.姉妹から見て、男のきょうだい。年上にも年下にもいう。
2.女が男を親しんでいう語。主として夫や恋人にいう。
3.男同士が親しんでいう語。
【広辞苑第五版】

この場合の「せ」は、卒業の歌であることと、当時は小学校から男女別学が基本であったことから、3ではないかと考えられます。えーっと、3の意味に男色ってニュアンスが含まれてるってことはないですよね? あったら3は却下なんですが。
今気付いたんですけど、「蛍の光」は女性を無視した歌だったってこと? 誰か調べてー。

歌意をまとめるとこんなかんじでしょうか。

一生懸命勉学に励む月日を重ねてきたけれど
あっという間に年は過ぎ去り
校舎のこの杉の戸を開けてしまえば
もう今日でみんなとお別れです

故郷に留まる友も遠へ行く友も今日を限りと
互いに互いを思う幾千万もの言い尽くせない想いを
すべてこの歌に込めて
どうか無事でいてくださいと歌うばかりです

九州の果て東北の果て
どれだけ離れた地にいようとも
その真心は隔てなく
ひたすら国のために尽くしてください

千島列島の最果ても沖縄も
日本の国の防衛線です
日本国中で勇敢に任務を果たしてください
我が友よ息災であれ

違ってたらごめんね。

4番の「千島の奥も 沖縄も」のくだりは、当時、千島列島と沖縄を日本領土としたばかりだったので、こういう歌詞になったんですね。(1875年(明治8年)千島樺太交換条約。 1879年(明治12年)琉球処分により沖縄県設置)
なお、領土拡張などによって、こんな風にも歌われたようです。

千島の果ても 台湾も
台湾の果ても 樺太も
昭南の果ても アリューシャンも

結局、1945年の敗戦後から3番4番は歌われなくなりました。おそらくGHQ
によって制限されたのではないか、という話です。
それでも「蛍の光」は現在まで残り続けました。

きっと、いろんな人のいろんな思い出に刻み込まれながら。

<まとめ?>

唱歌は「蛍の光」に限らず、国民教育という役割を担うものがほとんどだったんだよね。もちろん軍国主義の。そのうえ歌詞が難解ということもあって、言文一致唱歌運動が起こり、そして大正中期、童謡の誕生と相成るのだな。
でも唱歌、いいんじゃないかい。
だってさ、もうさ、昭和に育った我々にさえ唱歌が染み込んじゃってるんだよね。良きにつけ悪しきにつけ、さ。でさ、戦争まみれの歌ばかりじゃなくて、素敵な唱歌もたくさんあるじゃない。ねえ。
んー、でも、今の子どもたちって唱歌知ってんのかな? これからも歌い継がれて残っていく唱歌ってどれだけあるんでしょうね。
え? 蛍の光?
「蛍の光」だったらだいじょうぶ。残っちゃうさ。
スーパーや図書館がすべて24時間営業にならない限り
残りますって。

おしまい

参考文献:

金田一春彦『童謡・唱歌の世界』教育出版
千葉優子『日本音楽がわかる本』音楽之友社
畑中圭一『童謡論の系譜』東京書籍
吹浦忠正『愛唱歌とっておきの話―歌い継ぎたい日本の心』海竜社
横山太郎『童謡大学 童謡へのお誘い』自由現代社
上田信道『名作童謡ふしぎ物語』創元社
横田憲一郎『教科書から消えた唱歌・童謡』産経新聞社
川田正子『童謡は心のふるさと』東京新聞出版局
日本基督教団讃美歌委員会『讃美歌』日本基督教団出版局
日本基督教団讃美歌委員会『讃美歌21』日本基督教団出版局
半藤一利『昭和史 1926-1945』平凡社
新崎盛暉『現代日本と沖縄』山川出版社
山室信一『日露戦争の世紀』岩波書店

参考サイト:
菊池真一研究室
http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/

d-score
http://www.d-score.com/cover.html

できる限りの調査はしましたが、間違いもあると思います。気が付かれた方はコメント欄にてご指導くださいませ。よろしくお願いいたします。


おまけ

<国歌>

モルジブ共和国と韓国は「蛍の光」のメロディーを国歌にしていた時期があったんだって。
このメロディー、韓国では抗日の象徴のように使われているそうです。

<ロングサイン>

どこかでね、読んだんだよ。独自ルートで(唱歌を経由せずに)日本海軍軍楽隊に「Auld Lang Syne」が入ってきたってのを。でもどこで読んだのか忘れちゃった。出航のときに演奏される「蛍の光」はその名残で、海軍では「ロングサイン」と呼ばれた。っていうようなことだったんだけど、確証なし。海軍で歌われていたらしい「別れ」っていう歌があるんだけど、これのことかなあ? メロディーおんなじ。でも、これはきっと「蛍の光」の替え歌だよなあ。だって「蛍の光」と同じく完全な七五調の歌詞なんだもの。七五調なんてあのメロディーにうまく乗らないのにさあ。
<蛍のあかり>

じつはね、最初は「蛍のあかり」って歌詞だったんだけど、文部省にお伺いを立てたとき「蛍のひかり」のほうがいいんじゃないかと朱書きされて、「蛍の光」になったそうなんだよね。
それにしても、なんで「蛍(蛍の光)」って曲名なんだろう? 内容とはあまり関係ないよねえ。これはたぶん、単に歌い出しの言葉を取っただけだと思うんだ。「小学唱歌集 初編」に収められた歌のほとんどがそのパターン。そういえばさ、賛美歌もほとんどが初行(歌い出し)がそのまま曲名になってんだよね。

<閉店ソング>

2005/11/30 19:50 隣町のホームセンターで電球を買おうとしていたんだけど、ちょうどそのとき、蛍の光が流れてきたんだよね。閉店時間だから。やっぱり帰らなきゃいけない気分になるよなーなんて考えながら聴いていたら・・・ え? あれ? 1234あれー? 123…! 愕然としちゃいましたよ。何故今まで気がつかなかったんだろう。ふつう、「蛍の光」って4拍子でしょ。でも、このお馴染みの閉店のメロディーは3拍子じゃん! 3拍子ってことは「別れのワルツ」ってこと?
調べました。そうでした。そうなんだよ。閉店時に流される「蛍の光」は「別れのワルツ」なのだ! あれは「蛍の光」であって「蛍の光」じゃなかったんだ。あーほんとにもう何故今まで気がつかなかったんだろう。でもさ、原稿締め切り間際に気がついたってのもものすごいことだよね。
おまけのおまけ

やはり最後の最後は「蛍の光」の演奏でお別れしないとね。
あー、でもなー、ワルツにしたかったなあ。
「別れのワルツ」に気付くのが遅かったなあ・・・
まあいいや。
それでは、ごきげんよう

『蛍の光』
スコットランド民謡
作詞:稲垣千頴
編曲:たび&SOL2 (from 人見知りバンド)

蛍の光midi

ほたるのひかり まどのゆき
ふみよむつきひ かさねつつ
いつしかとしも すぎのとを
あけてぞけさは わかれゆく

Auld Lang Syne

Should auld acquaintance be forgot,
And never brought to mind?
Should auld acquaintance be forgot,
And days o’ lang syne!

Chorus:
For auld lang syne, my dear
For auld lang syne,
We’ll tak a cup o’ kindness yet
For auld lang syne!

We twa hae run about the braes,
And pu’d the gowans fine,
But we’ve wander’d mony a weary foot
Sin’ auld lang syne.

Chorus

We twa hae paidl’t in the burn
Frae morning sun till dine,
But seas between us braid hae roar’d
Sin’ auld lang syne.

Chorus

And there’s a hand, my trusty fiere,
And gie’s a hand o’ thine,
And we’ll tak a right guid willie-waught
For auld lang syne!

Chorus

And surely ye’ll be your pint’ stoup,
And surely I’ll be mine!
And we’ll tak a cup o’ kindness yet
For auld lang syne!

Chorus
words: Robert Burns
著作権消滅

別れのワルツ

あい‐しゅう【哀愁】‥シウ
1.もの悲しいこと。
2.のほほんさん
の好きな映画の題名。
【たび辞苑初版】

 

「哀愁」は1940年のアメリカ映画。原題は「WATERLOO BRIDGE」
監督 : マービン・ルロイ  
主演 : ビビアン・リー/ロバート・テーラー
メロドラマの大傑作といわれています。
詳しくはこちら↓

 

ワーナー・ホーム・ビデオ
哀愁【字幕版】

 

キャンドル・クラブでの初めてのデート。
ワルツを踊るマイラとロイ。
徐々にキャンドルライトが消されてゆき、
そして二人は見つめあい・・・

っていう甘く切ない場面で流れているのは
三拍子に編曲された「Auld Lang Syne」。

この曲を日本でレコード化しようとしたんだけど、
音源持ってる会社と契約できなかったんだって。
んじゃあってんで、
古関裕而が採譜と編曲をして日本で発売されたのが
「別れのワルツ」。

つまり、
この「別れのワルツ」という曲は
唱歌「蛍の光」をまったく経由していないわけです。

でもね、
ザ・ピーナッツや梓みちよが「別れのワルツ」のレコードだしたとき、
唱歌「蛍の光」の歌詞で歌ってるっぽいんだよね。
「訳詞:稲垣千頴」ってなってる。。

Awake, my soul, stretch every nerve

Awake, my soul, stretch every nerve,
And press with vigor on;
A heavenly race demands thy zeal,
And an immortal crown,
And an immortal crown.

 

A cloud of witnesses around
Hold thee in full survey;
Forget the steps already trod,
And onward urge thy way,
And onward urge thy way.

 

’Tis God’s all animating voice
That calls thee from on high;
’Tis His own hand presents the prize
To thine aspiring eye.

 

Then wake, my soul, stretch every nerve,
And press with vigor on,
A heavenly race demands thy zeal,
And an immortal crown.

words: Philip Doddridge

 

著作権消滅

GHQ (ジーエイチキュー)

連合国最高司令官総司令部
(General Headquarters of the Supreme Commander for the Allied Powers)

1945年(昭和20年)ポツダム宣言受諾により日本は無条件降伏し、1952年(昭和27年)まで連合国の占領下に置かれ、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に統治された。

最高司令官はダグラス・マッカーサー陸軍元帥。後にマシュー・リッジウェイ中将。